若者の「全能感」の危険性

10代くらいの若い人って多かれ少なかれ「全能感」を持っている人が多いと思います。

  • 「世の中馬鹿ばっか」
  • 「俺はあいつらとは違う。いずれ絶対にビッグになる」

僕も10代の頃、このようなすかした考えを持っていたのですが、そのおかげで大きなしっぺ返しを食らったと同時に人生を通して宝物となる教訓を得ることのできた体験があります。

今回はそのことについて書きたいと思います。

あれはまだ僕が高校生の時でした。

漫画家を目指していた高校時代

高校時代の僕は漫画家を目指していました。

昔から漫画やアニメが大好きで絵を描くことにも熱中し、気づいたころには「自分は将来コミックスを3億部売る漫画家になる」と豪語していました。

漫画家志望で高校生といえば、早い人であれば新人賞を受賞している人もいます。少女漫画では小学生がプロデビューして話題にもなりました。しかし当時の僕はまだ一度も新人賞に応募したこともありませんでした。

絵の下手さをオリジナリティだと勘違いしていた

漫画家を目指しているからには絵がうまかったのかと言えば、高校生の中でも上手くはありませんでした。むしろ下手でした。しかし当時の僕は自分の絵のことを「個性的な絵柄」だと信じて疑っておらず、それが増長して「オリジナリティのある絵を描ける将来有望な漫画家の卵」だと自負していました。

その絵は確かに高校生がよく描くような絵柄ではありませんでしたが、誰がどう見てもはっきり言って下手でした。

同じ漫画家を目指す友達からはことあるごとに「好きな漫画家の絵を模写して描いてみるといいよ。もっと絵が上手くなる」と言われていました。彼は決して僕の絵を「下手」と言わず、とても優しい友人だったと思います。

しかし僕はそんな友人のアドバイスに対して「既存の漫画家の絵を模写するなど笑止千万! 俺の個性とオリジナリティのある絵柄が平準化されてしまう」と聞く耳を持たずでした。

周りからの蔑みの視線

このような考えで決して人のアドバイスを聞かず、自分で勝手に妄信していた「オリジナリティのある絵」ばかり描き続けていた僕の画力はまったく向上せず、それにも関わらず将来売れっ子漫画家になるとばかり言いふらしまくっていた僕に対する周りの視線は次第に「あいつはバカなんじゃないか」という蔑みの色を帯びるようになりました。

そんな空気に僕も気づいていましたが「天才は理解されない。いつか見てろよ」と一人勝手に対抗心を燃やしていました。

出版社に自分で描いた漫画を持ち込む

時は流れて高校も卒業間近になり、ついに僕は某有名漫画雑誌の編集部に自分で描いた漫画を持ち込むことにしました。自分で電話番号を調べ、震える声で持ち込みのアポイントを取りました。まだ高校生の小僧だった僕にとってはかなりチャレンジングな行動でしたが、ここだけは「中々頑張ったな」と自分を褒めてやりたいポイントです。

この持ち込みによって僕は精神的な大ダメージを食らうことになるわけですが……。

始めてプロの編集者に会う

持ち込み当日、僕は某有名出版社に赴き編集部の中に通されました。

編集部の中は様々な漫画やライトノベルや映画のポスターが張られ、まさにドラマなどで見かける「編集部」をそのものでした。

応接ブースに通された僕はアンケートのようなものを渡され、記入しながら待っていてほしいと言われました。アンケートの中身は、好きな漫画家、アシスタントを希望するかなどの項目があったと記憶しています。

しばらくすると中年の編集者(A氏と呼びます)がやってきて挨拶をしました。

「若いねぇ、高校生! すごいねぇ」

A氏はこういった言葉をかけてくれました。僕はそれを聞いて上機嫌になり、まだ原稿を見せてもいないのに「やはりプロの編集者は才能ある若者のオーラがわかるのだな」などと好都合な解釈をしてしまう始末。

挨拶もそこそこに、僕は持ってきた原稿をそのA氏に渡しました。

A氏は受け取った原稿の束を、実際の漫画を読むときのように二枚を並べて見開きの状態にして読み始めました。それからしばらく無言で原稿を読むA氏。さすがの僕もこの時は緊張のあまりA氏の表情を見ることはできませんでした。

原稿を読み終わったA氏は顔を上げて開口一番こう言いました。

「はっきり言います。商業誌に載せられるレベルの絵じゃないです」

プロの編集者にこき下ろされる

その言葉を聞いた瞬間、僕は凍り付きました。A氏の表情からはそれまでの親しみ深い笑顔が消え、完全に「編集者の顔」になっていました。思えばこれが僕が初めて「ビジネスマン」と相対した瞬間だったのかもしれません。

A氏は続けて原稿の一コマを指さしました。それはビルが立ち並ぶ風景(として僕が描いた)のコマでした。

「実際のビルって本当にこんな形をしてる? 写真を参考にしたり、実際の建物を観察したりして書いてないでしょ?」

その「ビルが立ち並ぶ風景」の一コマは(今だからこそ客観視できますが)いびつにゆがんだ長方形や三角形が積み重なったかのような、とてもビルとは思えないような絵でした。

さらにA氏の批評はキャラクターの絵に移ります。

「人間の顔って本当にこんな顔してるかな? 目や鼻はほんとうにこんなふうになってる? 漫画のデフォルメされた絵だからってあまりにも原型を留めてなくない?」

この時点でのA氏の言葉は厳しくとも何ともなく、むしろ年少者に対する優しい言葉遣いだったと思います。

ですが、自分は才能があると信じて疑っていなかった僕は、始めて受けた客観的指摘の言葉に、極度の緊張と精神的ショックによりバックンバックンと脈打ちまくっていました。普通心臓の音として表現される「ドキドキ」とか「ドクンドクン」などという生半可なレベルではありません。あの時の心臓の音はまさしく「バックンバックン」であり、なんなら「ドッカンドッカン」でも良いかもしれません。

決定的な一言を頂戴する

「早い人は小学生から絵を描きまくっているからね。いくらキミが高校生だと言ってもこの絵はひどいね」

「プロの絵を真似して描いて練習したりしてる? 漫画のことをよくわかってないやつが模写をするとオリジナリティがなくなるなんて驕ったセリフを吐くんだけど、そんな考えを持ってない?」

しばらくA氏の漫画指導が続いたあと、すっかり疲弊しきった僕にA氏はこんなことを言いました。

「高校生だっていうけど、これからの進路はどう考えてるの?」

「……大学に……行こうと……思っています」

僕はか細い声でそう返答するのが精いっぱいだったのです。

その返答を聞いた編集者はトドメの一言を発しました。

「そのほうがいい! 間違っても漫画の専門学校とかやめなよ! キミの人生がめちゃくちゃになるよ!

その編集者は親切心で一人の若者の将来を案じてくれていたのでしょうが、その言葉は漫画家としての将来が見込めないことを宣告する発言にほかなりません。今思い返してみても当時の鼻たれ小僧だった僕がよく泣かなかったなと思います。精神的ショックが度を超すと逆に涙も出なくなるのかもしれません。

その日、僕がどうやって家に帰ったのか記憶がありません。

教訓

さて、僕がこの記事で言いたいことはここからです。

ご想像の通り僕は漫画家になれませんでしたが、この持ち込みによるショックですぐに諦めた訳ではありません。むしろ、それまでの自分の傲慢さを反省し、まずは編集者に言われた通りプロの漫画家の模写を始めたのです。

しばらく模写を続けてプロの漫画家の線の描き方を少しづつ自分の絵に取り入れていくようになりました。すると、すぐに友人の評価が変わりました。

  • 「お前なんか絵の描き方が変わったな」
  • 「え? 上手くなってね?」

実際模写をしてみると、本当の画力の高さというものがどういうものなのかわかるようになりました。そして自分の絵の下手さにも気づきました。

これはまさしく「成長」だと思います。

僕は今回の漫画の持ち込みで強烈なパンチを食らった訳ですが、それは同時に僕の体にこびりついていた偏見・妄信・驕りなども一斉に吹き飛ばしてくれたのです。そういったものが取り払われた人間は急速に成長し始めます。もし僕があと2~3年早く持ち込みをしてこの事実に気づくことができていたら、そしてプロの漫画の模写をひたすら続けて技術を向上させていっていたら、もしかしてもしかすると、本当に漫画家になれていたかもしれません。

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10代のみんなへ伝えたいこと

もし10代の若い方で夢や目標を持っている方がいたら、一刻も早く「プロの洗礼を浴びる」ことを絶対的にお勧めします。

僕と同じく漫画家を目指している人がいたら、出版社へ持ち込みをしましょう。新人賞への投稿では落選したら評価が受けられないので意味がありません。

歌手や俳優を目指している方がいたら、オーディションを受けてください。練習して自信がついてから、ではなく「今すぐ」です。

重要なのはそこで評価されることではなく、一度「ぶちのめされる」ことです。そうすることでもしあなたが間違った努力をしていた場合は一気に軌道修正され、大きく夢に向けて前進することになります。それは若ければ若いほど良いのです。

「ぶちのめされる瞬間」だけは大きな痛みを伴うことになるかもしれませんが、それを恐れて行動できない人間には夢を叶える資格はないと僕は思います。

僕は漫画家を目指すことはもうやめましたが、今度は小説を書いてみたりと色々やっています。

全ての夢を追う人々に栄光あれ。