嫌いな本があるのは良いけど、なぜ周りにまで「読むな」というのか

かなり話題の時期に出遅れた感がありますが、2016年のベストセラー小説『君の膵臓を食べたい』を読みました。

僕は学生時代、小説を好んで読んでいたのですが、社会人になってからはもっぱらビジネス書や自己啓発本ばかりを好むようになりました。小説を読むのは実に1年ぶりくらいかもしれません。

シナリオで読ませる作品ではない

僕の好きな作家に東野圭吾氏がいるのですが、彼の作品は極めてエンターテイメント性に富んでおり、スリリングな展開で多くの読者を魅了します。

対してこの作品はシナリオで読み手を楽しませるタイプの作品ではないなと思いました。本作のストーリーは極めて平坦で、全篇を通して主人公とヒロインの心の交流が描かれます。

物語のラストでヒロインの身に起こった出来事に関しては、物議を醸しそうですが、総じて僕は本作を楽しむことができました。

 

賛否両論の本作

さて、本作を読了後アマゾンのレビューをはじめとする色んな人の感想を読みましたが、まさに賛否両論でした。好意的な感想がある一方、中には作者に親でも殺されたのかというほど執拗にこき下ろす感想も多々ありました。

ベストセラーにアンチが付きやすいのは、ただ単により多くの人の目に触れることでアンチの目にもつきやすくなるからだという考察があります。つまり、ベストセラーにアンチが多いのではなく、広範囲にその存在が知れ渡ることでより多くのアンチの目にも触れやすくなるということです。

個人的には、キチンと作品の気に入らないところ述べているのであれば、批判的な意見を言うことには何の問題もないと思います(そういう理論的な人は「アンチ」とは呼ばないと思うけど)。

ただ、不可解に思っているのが、自分の嫌いなものを他の人が褒めていることに対して異常なほどに攻撃的になる人々のことです。

 

こんな本を読むヤツは馬鹿

-こんな低レベルな本がベストセラーになる日本。終わってる。

-この本を賞賛している人々は、普段まったく本を読まないことを露呈していますよ。

-はっきり言ってラノベ。こんな本が市場に出回ることで、日本人の知的レベルが失墜する。

「君の膵臓を食べたい」に限った話ではありませんが、全国レベルで話題沸騰になった作品に対して、それを楽しむ人々のことを見下すヤツらが必ずいます。そういったヤツらが作品を中傷する時に好んで使うのが「幼稚」「低レベル」「二番煎じ」といった言葉です。ようするに具体性がない。

具体性がない割には、妙に格式ばった単語を使って中身のない長文批判文を書き、悦に浸ります。それならいっそのこと「この登場人物のこの行動が気に入らなかった! だからこの本は嫌いだ!」くらいの感想の方が遥かにましです。具体的に嫌いなポイントを端的に述べる方が「知的レベル」が高いんじゃない?

 

稀に存在する超ハイレベル辛口批評家

念のために述べておきますが、僕は作品の批判をするなと言っている訳ではありません。ですが、それをするならキチンとした理由を添えるべきだと思うのです。

ごくたまーにですが、これでもかというほど作品をこき下ろしつつ、その理由を詳細かつ理論的にまとめている超ハイレベル批評家がいます。普通の人間ではまず気付かないような微妙な矛盾点を、適切に引用を用いて文章にしたためるのです。その鮮やかな批評文は芸術的でさえあり、時にユーモアまで感じさせます。

アマゾンの1,000レビューに1つくらいの本当に稀有な存在ですが、そういった批評文に出会った時は(それがどんなに作品のことを辛辣にこき下ろしていようとも)思わず「かっけぇ……」と嘆息してしまいます。

そういった批評文に共通しているのが

1. 誰にでも理解できる平易な言葉で書かれており

2. ところどころにユーモアが散りばめられている

ことです。

そう、なぜだか分かりませんが、類まれなる素晴らしい批評を書く方は得てしてユーモラスであり、辛口な批評文であるにも関わらず、思わず笑みがこぼれてしまうのです。これは僕の予想ですが、そういった方々は真に知的レベルが高く、実生活でも高い収入と円滑な人間関係を気付いているため、圧倒的「余裕」があるのだと思います。

反対に、見るに堪えない理論の破たんした誹謗中傷を書き連ねるヤツらは、その文面の向こうに顔を真っ赤にして、あるいは不機嫌そうな仏頂面でキーボードを叩く姿が容易に想像され、実生活の余裕の無さが想像できます。

 

良い批評を書くには、フラットな視点で真摯に作品を読むこと

僕は明確な理由を述べずに作品を中傷しているヤツらが嫌いですが、たとえ褒めていても「なんかすごかった!」みたいな文章を書く人もあまり好きではありません。

つまり具体性のない文章が嫌いなのです。

具体性があれば、それが賞賛であろうと批判であろうと読むに値する文章になると僕は思います。

僕もこうしてブログを書いておきながら具体性のない文面を投下してしまっていることがあると思います。でも、何かを批判・否定する時は特に具体的でありたいと己を戒めたいのです。