尾田栄一郎が僕の歳(28歳)で既に「アラバスタ編」を描き終わっているという恐るべき事実

最近誕生日を迎えて28歳になったのですが、いよいよ20代もあとわずかとなってくると色々と考えることがあります。

その中の一つが、世の中で成功している人たちが僕と同じ年齢(28歳)で、既に偉大なことを成し遂げているという事実です。

そんな有名人たちと自分を比べること自体がおこがましいかもしれません。しかし、僕が幼いころ「いつかああなりたい」と憧れた人たちが大事を成した時の年齢を、僕はもう超えつつあります。

僕もいよいよ夢見る時代も終わりを迎えてきているかもなぁ……と思わずにはいられません。

今回は世の中の成功者たちが20代の時点でどれだけの偉業を成し遂げていたのかをまとめてみたいと思います。なお、この記事では日本人のみを対象とします。

もしかすると僕と近い年齢の人たちが読むと、暗くなる記事かもしれませんが、自己責任でどうぞ。

尾田栄一郎(漫画「ONE PIECE」作者)

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皆さんご存知の国民的人気漫画「ONE PIECE」。

その作者である尾田栄一郎氏が「ONE PIECE」の連載をスタートしたのはなんと若干22歳の時。連載当初から色々と苦労されたエピソードがあるようですが、それからは飛ぶ鳥を落とす勢いで発行部数を伸ばし、今では「最も多く発行された単一作家によるコミックシリーズ」としてギネス世界記録に認定された漫画家になりました。

彼が20代の時点で「ONE PIECE」のどこまでの物語を書いていたのか確認したいと思います。

彼が25歳の時点で単行本は16巻まで発売されていました。エピソードとしては、ワンピースファンの間でも評価の高い「アーロン編」が完結し、「ドラム島編」に入っています。「アーロン編」のナミの「助けて……」からのルフィの「いくぞ」には痺れたものです。

さて、今の僕と同じ28歳の時点ではどうでしょうか。

彼が28歳の時、単行本は31巻まで発売されています。エピソードで言うと「アラバスタ編」が既に完結し、「空島編」も佳境を迎えています。

……どうでしょうか。

まずね、僕は今28歳ですが「アーロン編」にしろ「アラバスタ編」にしろ、あんなお話はぜってー描けないですよ

特にアラバスタ編の「戦争の描写」なんて想像すらできないし、過去の人々が決して壊せない石にメッセージを綴った「歴史の本文(ポーネグリフ)」なんて概念自体絶対に思いつきません。

ハッキリ言って、どういう頭してるんだ尾田先生はと言いたいのです。

いやわかってますよ。彼のような特別な人間と自分を比べるなんてお門違いだと。

でも同じ年齢でこうも違うなんて……ねぇ……?

ちなみに漫画家で言うと、和月伸宏氏は「るろうに剣心」の連載を24歳でスタートさせて、28歳の時点で「京都編(志々雄を倒すお話)」を描き終わっています。

天才すぎる……( ^ω^)。

桜井和寿Mr.Children

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音楽界の偉人も覗いてみましょう。

今や日本を代表する音楽グループ「Mr.Children」のボーカル桜井和寿氏のメジャーデビューは、尾田栄一郎氏と同じ22歳。デビュー間もなくして彼はメガヒットを連発することになります。

23歳でリリースした「CROSS ROAD」が100万枚。

24歳でリリースした「innocent world」が180万枚。

そして日本の歴代シングル売り上げ8位にして、ミスチル最大のヒット曲「Tomorrow never knows」をリリースしたのも24歳の時です。売り上げ枚数は脅威の276万枚。

その後も「シーソーゲーム~勇敢な恋の歌~」「名もなき詩」など、20代で出す曲出す曲ミリオン、ダブルミリオンを連発していました。あ、念のため書いておきますが、曲を作ったのも桜井氏ですよ。

……やばすぎない?(;^ω^)

でも何よりすごいのは、桜井氏に限りませんがどれだけお金を稼いでも創作意欲が衰えないところですよね。当たり前ですが、お金のためじゃなく心から愛することに打ち込んでいなければ、成功は見込めないんですね。

ヒカキン

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最後に、YouTuberのヒカキン氏についても見てみましょう。

今やトップYouTuberとして数々の名声を手に入れた彼ですが、2018年11月2日現在まだ20代(29歳)。彼がスーパーの店員から現在の地位に上り詰めるまでの道筋をたどってみます。

彼は18歳で高校を卒業後、スーパーマーケットで働く傍らYoutubeに動画の投稿を続けていました。

彼に転機が訪れたのが動画を上げ始めてから2年経過した21歳の時。彼がアップロードした「Super Mario Beatbox」という動画がYoutubeの日本国内月間アクセス1位を記録し、さらにはアメリカの「CBS News」のトップで取り上げられるなどして一気に100万以上のアクセスを集めました。

同年には2010年度YouTube世界ベストパートナートップ500人にも選出。

その後、彼が22歳の時に参加した「YouTubeパートナーフォーラム」にて出会った、アメリカのYouTuberであるミシェル・ファンの演説に感銘を受け、本格的に動画投稿を始めます。

ほどなくして開催された「YouTube NextUp 2011」というコンテストに参加。この時点でチャンネル登録者数日本一だった彼は自信満々で参加したようですが、まさかの受賞者の10組に入れず。

ですが、この大きな挫折によって彼はYoutuberへのアドバイザーをしていた佐藤友浩氏にアドバイスを求めたり、国内外の人気動画クリエイターの動画を研究してその編集スキルを自分の動画に取り入れていきました。

そうした努力の結果、Youtubeでの収入が会社員の給料を超え、2012年には仕事を辞めてYouTuberとしての収入だけで生活する道を歩み始めます。この時点で22~23歳です。

その後の活躍は皆さんも知っての通りです。

まとめ

いかがでしたでしょうか。

こうして有名人の経歴を調べてみると、20代前半で世に名前が知れ、20代後半にかけてトップに上り詰めたというパターンが多いように思います。

これを見ると28歳にしてまだ何事も成していない僕の人生は一体何なんだと思いたくなりますが、世の中には例外だってたくさんあるはず。

まだまだ諦めずに上を目指して生きていきたいと思います。