社会人になってから、「無駄な時間」を過ごすことが極端に怖くなった

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学生時代、僕はかなりの読書好きでした。

ピークは大学時代で、「人生の夏休み」とも言われるほどのありあまる時間を使って面白そうな本に手当たり次第に手を出しては読破していきました。

当然、読んだ本の中には「当たり外れ」がありましたが、外れを引いた時でもさして気にせず、すぐに次の本へと興味を映していきました。

さて、社会人になった現在、学生時代と比べて極端に読書量が減りました。別に、働いているから本を読む時間が無いという訳ではありません。

読書量が減った理由は一つ、「外れの本を読むことが極端に怖くなった」からです。

人生の時間は有限であることを気付かされる社会人生活

僕は学生時代、ありあまる自由時間の中に一部バイトや勉強などの「拘束される」時間を組み込んでいくというスケジュール設計をしていました。しかし、社会人になると一週間のうち5日は最低働くことになり、数少ない土日祝、退勤後に限定される「自由時間」に自分がやりたいことを組み込んでいくスケジュール設計に様変わりしました。

つまり、学生時代は自由時間がデフォルトでしたが、社会人になってから拘束されている時間がデフォルトになりました。

そうなってくると、少ない自由時間をどう使うかということをかなり真剣に考え始めます。上に挙げた読書の例で言うと、学生時代は少しでも面白そうな本は手当たり次第に手を出していましたが、社会人になると「この本は自由時間を費やすに値するほどの楽しさを提供してくれるのか」「この本は楽しさだけでなく、仕事のネタになるような情報や気付きを与えてくれるのか」こういったことをひたすら考えます。

社会人になってから僕は読む本の種類が「小説」から「ビジネス書」に変化してきました。その理由は、ただ楽しい時間を過ごさせてくれる「だけ」のエンターテイメントでは限られた自由時間を投入するに値しないと思うようになり、何かしら人生の役に立つ情報を得たいという気持ちが強くなったからだと思っています。

感動的な物語さえも、日々のストレス発散の道具に

さらに僕は社会人になってから「泣ける作品」を求めるようになりました。しかし、それは「感動的な物語に触れて心を満たしたい」というような純粋な気持ちではなく、ただ「涙を流すことで、仕事のストレスを発散したい」というような下世話な理由によるものである場合が多いという事に最近気づき始めました。「泣く事」が目的になってしまって、感動的な物語はそのための触媒でしかないというあまりに無常なありさまです。

でも、結構同じような考えを持っている人って多いのではないでしょうか。それどころか、メディアが作品を宣伝する煽り文句でさえも「感動のラストに涙する!」とか「この作品は明日への希望になります!」とか、挙句の果てに「この二人の愛の深さに泣いてください」などと直接言い切っているものまでありました。

泣くのは結果であって、気にするべきは「どんな物語なのか」だと思うのですが、僕はどうしようもなく上記した宣伝文句に惹かれてしまいます。それは「ああ、この作品は泣けるんだな。涙を流すことができてストレス発散になるなら、物語の内容はどうでもいいや」と無意識に考えているからなのかもしれません。そして、こうした宣伝文句が横行している影には、僕と同じような打算で物語を消費しようとしている人が多いからなのではないでしょうか。

無駄のない人生はさみしい

上記したような理由から、僕は本にしろ映画にしろ「大ヒット」と呼ばれるようなものにしか手を出さなくなりました。大ヒットというからには、世の中の多くの人がその価値を認め、自由時間を投入するに値する何かである可能性が高いからです。

しかし、この考え方のままだと「隠れた名作」を見付けることは難しくなります。世の中で「大ヒット」している作品以外にも、自分にとって特別と思える作品は確実に存在し、実際に学生時代の僕はそれらをしばしば発見し、世の中で広く認知されている作品とはまた少し違ったニッチな世界を楽しみ、見識を広げてもらいました。

大ヒットする作品とは、多くの人のニーズを満たす作品であり、必然的に尖りすぎた要素は排除されたものになります。

しかしこういった作品を見つけるためにはたくさんの「外れ」にぶち当たる必要があり、その際には膨大な時間の浪費が発生します。社会人になった僕には、とてもそんな時間を捻出することはできなくなってしましました。

これは「さみしい」ことだなと、そう思います。

まとめ

なんだか暗い文章になりましたが、少しでも自由時間を増やせるような努力は続けていきたいと思います。それには生産性を上げて、少ない投入時間でより多くのお金を稼ぐことが有効です。そもそも人々が仕事をする理由の第一に来るのはお金なのです。

可能な限り自由時間を増やして、「無駄な時間」でさえも予め自由時間の中に組み込めるようになり、結果としてそれが人生を豊かにする時間に変わるなら、それは無駄な時間ではなくなります。そんな試行錯誤ができるほど豊かな人生を送れたらいいなと思います。