今、話題沸騰の「少年革命家ゆたぼん」をご存じでしょうか。
Youtubeに動画を投稿している10歳の男の子で、現在学校に行っていない
不登校状態なのだそうです。
彼は「
不登校は不幸じゃない」と主張し、自分のような
不登校の人でも頑張ればできるということを、同じく
不登校で悩んでいる子供たちに見せたいと語っています。
- 先生に無理やり宿題をやらされそうになり、不満を抱いた
- 大人しく先生のいう事を聞く周りの子供たちがロボットのように見えた
- 自分までロボットになってしまうと危惧した
ということらしく、この理由があまりにも馬鹿げているとのことで、何かと批判にさらされています。
今回は過去に
不登校で高校を中退したことのある僕が、この件についての意見を語ろうと思います。
ゆたぼんが批判される主な理由
まず、ゆたぼんがここまで批判されることになった主な理由について列挙していきます。
それに続いて、それぞれの批判に対する僕の感想を書いてみます。
批判①: 勉強しないと大人になってから苦労する
今学校に行かずに好きなことをしていては、大人になってから碌な知識を持てず就職などにも苦労するという批判です。
この批判に関しては、僕は半分同意と言ったところです。
僕は高校1年生の早い段階から
不登校になり、そのまま中退しているので
高校で勉強する学習内容をほとんど理解していません。
今現在は一般企業に就職して自分の稼ぎで一人暮らしをしています。
仕事をする中で「高校の勉強内容を理解していなくて困った」ことはほとんどありません。
まぁこれを言うと「その程度の仕事しかしていないからだ」という批判も飛んできそうですが……。
ただ、職場の人たちと昼食時などに雑談をする時、教養のなさが露呈しそうになって恥をかいたということはしばしばあります。
職場でのある飲み会で、歴史上の有名(と思われる)人物を引き合いにだしてギャグを
かました人がいました。
周りの人たちは爆笑していましたが、僕はその歴史上の人物のことが分からず、周りに合わせて無理やり笑うしかなかったということがあります。
これだけだったら恥をかいているとは言えませんが、そのギャグを
かました人がふと僕の表情をちらりと見て意味深な薄ら笑いを浮かべたのに気づいてしまったのです。
あの顔は
「こいつ……知らねえのに無理に笑ってやがる……(笑)」
という表情でした。
考えすぎだと思われるかもしれませんが、そもそも僕がその歴史上の人物を知っていれば済んだ話です。
仕事だけでなく、一般的な人間関係を築く上でも最低限の教養は身に着けておいた方が良いと思います。
批判②:本当に悩んで不登校になっている人を馬鹿にしている
いじめや学業不振などの深刻な理由で不登校に悩んでいる人もいるのに、宿題を無理やりやらされそうになったのが不満で不登校を語るのは、真剣に悩んでいる人たちに対する侮辱だという批判です。
この意見に関しては、僕ははっきり「それは違うでしょ」と思っています。
そもそも、この批判をしている人の9割が「実際に
不登校を経験していない」人間と思っています。
そして残り1割の本当に
不登校を経験した人がこの批判をしている場合は「心のどこかに自分が甘えているうしろめたさ」を自覚しているのではないでしょうか。
僕は実際に
不登校を経験し、飛び降りを考えるほどに死ぬほど苦しんだ過去を持っています。
ですが、ゆたぼんが
不登校になった理由を聞いても特に「真剣に悩んでいた自分に対する侮辱だ」とは思いませんでした。
なぜなら僕は「僕と同じ状況になったら、100人が100人間違いなく学校に行けなくなる」ということを知っているからです。
言い換えれば、僕が
不登校になった理由に一切の甘えなどないことを知っているのです。
なのだとすれば、一般的な感覚で言えばそれはあんまりだと僕も思います。
ですが、だからと言って
「俺の
不登校は死ぬほどの苦しみだったのに、てめぇはくだらん理由で
不登校を語るな!」
とはまったく思いません。
ゆたぼんの頭の中を覗けるわけではないので、「宿題を無理やりやらされそうになった」というのが彼にとってどれほどの苦しみだったかは分かりません。
ですが、そんなこととは関係なく、僕の
不登校の理由は本当にしかたのなかったことであり、一切の甘えも介在していないことを知っています。
だからゆたぼんの
不登校の理由がいかに浅薄なものであったとしても、
自分とは関係ないので苛立ちを覚える必要などないのです。
実際に
不登校を経験した人がゆたぼんの
不登校の理由にいらつくのであれば、それは心のどこかで
「もう少し頑張れたんじゃないか。頑張れば学校に行けたかもしれない」
という思いがあるのだと思います。
ですがそんな思いは到底認める訳にはいかず、断固否定したいばかりにゆたぼんに対して「お前の不登校は甘えだ! 甘えだ! 甘えだ‼(俺の不登校の理由はお前と違って100%しかたがなかったんだ! そうに違いない!)」と喚きたてるのです。
実際に
不登校を経験した人たちに喧嘩を売るつもりはありませんが、あなたの
不登校が本当に100%甘えのないものだったと確信しているのであれば、ゆたぼんと比較する必要はないのでは?
批判③:世の人々は経歴ばかり見るので、将来差別されることになる
まともな学歴が無いと、将来世間の人々にバカにされて困ったりみじめな思いをすることになるという批判です。
この批判に対しても、僕は半分同意します。
実際の僕の経験ですが、高校を中退したあとコンビニのアルバイトをしようと面接を受けたことがあります。
当然高校を中退していることが分かる訳ですが、そこで面接官である店長から
「学校も辞めちゃう子がやっていけるほど甘くないよ?」
という言葉をもらいました。
この経験からも、人は人間の中身ではなく経歴で判断することが多いことは身に染みています。
ですが同時に「本当に中身が伴えば、最終的に経歴を覆すことができる」ことも知っているのです。
僕は高校を中退した後、通信制高校に入り直し大学受験をしています。
受験中、精神が不安定になっていた僕は、しばしばインターネットで「高校中退という経歴が大学受験に与える影響」について検索していました。
すると、2chの掲示板などで
という書き込みがされていました。
ですが、実際に僕の大学受験の結果は
- 合格点を上回った大学は合格していた
- 合格点を下回った大学は落ちていた
というものでした。
つまり、経歴など一切関係なかったのです。
もちろん全ての学校の試験を受けた訳ではないので、「合格点さえ上回っていれば、大検・通信制高校卒などの経歴に関係なく受かる」とは断言できません。
ですが、多くの学校は「試験の点数がボーダーラインを超えたかどうか」しか、合否の判断にしないと思います。
それに、某医大のような性別やその他の不当な理由で減点をするような学校があったとして、そんな差別主義のはびこった学校に入りたいか、という話になります。
短期的には経歴によって人は判断されますが、長期的には中身が経歴を上回ると僕は信じています。
だから「まともな学歴が無いと、将来世間の人々にバカにされて困ったりみじめな思いをすることになる」という批判は、事実だと感じるのと同時に「覆せる」と思うので「半分同意」します。
まとめ
最後に身も蓋もないことを言いますが、ゆたぼんが将来大物になろうと失敗しようとどうでもいいと思っています(僕には関係ないので)。
批判するのは自由だと思いますが、それよりももっと自分自身に関心を持って、自分の人生を向上させることについて考える方が生産的だと思います。
以上です。